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玉置宏千の世界観

 

エネルギー上昇とその仕組み

 

真我への道 霊的身体とエネルギーの上昇

                                         (2011/11/5)

 私たちの身体の中央には霊的なエネルギーの通り道が存在しています。これを気道といい、ヨガではそれをスシュムナー気道と呼んでいます。しかし、実際にはクンダリーニ・エネルギーという生命エネルギーが覚醒しスシュムナー気道が通るまでには、かなりの鍛錬が必要です。普通ならば一生かかって、やっとクンダリーニ覚醒するものなのです。しかも、それには多大な功徳を要します。功徳が足りなければ、なかなかクンダリーニ覚醒は難しいのが実際なのです。

 ですので、大抵の方はイダー管・ピンガラ管という二つの管がスシュムナー気道の代わりをしています。この二つの管にも霊的なエネルギーは流れているのですが、クンダリーニの覚醒前はクンダリーニと質の違うエネルギーが流れています。全身の無知なるエネルギーが最終的にひとつに集まって、イダー管に流れるのです。一方ピンガラ管には全身の怒りのエネルギーが流れています。イダー管・ピンガラ管は、二つで一つの管の役割をしているとお考え下さればよいでしょう。

 ここまでは、ヨガ理論に精通している方なら御存じかも知れません。ここからは、私の経験に基づく、さらに深い話をしていきましょう。

 泥土がつまったドラム缶の中央に、ドラム缶と同じ長さの管が通っている様子を思い浮かべてください。そのドラム缶をあなたの身体、中央の管をあなたのスシュムナー気道もしくはイダー管・ピンガラ管として下さい。この管の中を霊的エネルギーが上昇したり下降したりするわけです。

 これは全く知られていないことですが、私たちの「今この瞬間の意識」というのは、そのスシュムナー気道(またはイダー管・ピンガラ管)に存在しているといえます。管の中のエネルギーを水に例えるのなら、私たちの意識はその水の上に浮かぶ浮き輪のようなものです。管の中のエネルギーが下がれば、浮き輪である意識も低下します。逆にエネルギーが上昇すれば、高い意識になるという仕組みになっています。「エネルギーが上昇する」と「意識が高まる」というのは同義なのです。

 私たちの身体を泥土のつまったドラム缶に例えましたが、それは霊的な眼で見た場合、ドラム缶の中の泥土のように、ほとんどの人が「穢れ」を身体いっぱいに内在させているからです。この穢れが気の流れをせき止め、身体の不調や病気を起こすのです。逆に穢れを取りされば、超健康体になれるのです。

 穢れというとイメージが悪いのですが、より正確に言うと「ある物や事に捕われている意識」のことをいいます。そういった意識を私たちは無数に内在させているのです。私は、特にこれを「内在根」と呼んでいます。なぜ、穢れを内在根とわざわざ言い換えるのか、それはまた後から説明していきます。

 捕らわれについてわかりやすい例えをするならば、ある人はお金に一番捕らわれています。また、ある人は権力に、ある人は容姿に、家族に、恋愛に、思い出に、趣味に・・・。ひとりの人間が無数の事物に捕われ、それらに執着しています。この執着こそが、わたしたちがこの欲界を離れさらに高い世界に飛躍しようとすると、その足を引っ張るのです。ゆえに、言葉は悪いかもしれませんが、すべての捕らわれの意識を穢れと呼び表わすわけです。ヴァジラ

 この穢れは身体いっぱいにつまっているわけですが、身体の中央を貫くスシュムナー気道(もしくはイダー管・ピンガラ管)にエネルギーが流れることで、穢れは気道に崩れ出てきます。それは、まるで急流に川岸の土が削られるようなものです。強い上昇のエネルギーが気道の中を何回も何回も上昇することで、岸が削られ川幅が広がるように気道は拡がっていきます。

 クンダリーニ・エネルギーは、普段は尾てい骨にありヘビがとぐろを巻いたような状態で眠っています。しかし、クンダリーニが覚醒すると、スシュムナー気道に穢れが生じるごとに、そのとぐろの状態からコブラが勢いよく襲いかかるかのように、クンダリーニ・エネルギーは急激に上昇します。この上昇時には、背筋を強いエクスタシーが駆けあがるような感じがします。その時は何とも言えない衝撃と快感が走ります。

 気道の中に何もなければエネルギーが流れていることすらわかりません。エネルギーが上がりだしたとか、今エネルギーが滞っているだとか、そのようなことはスシュムナー気道の中に障害物が存在して初めてわかることです。その障害物とは穢れ、つまり自分の心に存在する「捕われ」です。穢れがあるからこそ、それを無理に押し上げようとする振動や快感が生じるのです。

 上昇するエネルギーが強いものであれば、崩れ出てきた穢れも一緒に上昇します。しかし、上昇のエネルギーが弱ければ、穢れによってエネルギーはせき止められ上昇できなくなります。滞留したエネルギーはどうなるかというと、その穢れが崩れ出てきた地点で気道からあふれ外に漏れ出してしまいます。そうすることで、エネルギーはそれ以上上昇することはなく、意識の上昇もその地点でストップします。これをエネルギ―ロス、もしくはエネルギーを漏らすといい表わします。このように穢れはあなたのエネルギーの上昇をはばみ、意識を低下させているのです。しかも通常、管の中には穢れが常に存在していると思っていただいてよいでしょう。私たちの意識は、実は穢れのために本来あるべき高みには至っていないのです。

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真我への道 チャクラと霊的エネルギー

チャクラ ここでチャクラについてお話ししようと思います。一般的にチャクラはエネルギーのセンターであり、全身のエネルギーが集まるポイントといわれていますが、これだけの説明ではチャクラの本質を言い当てているとはいえません。

 図のように代表的なチャクラは七つあり、下から順に尾てい骨・性器・へそ・胸・のど・眉間・頭頂にそれぞれ存在します。そして、図でもお分かりになるかと思いますが七つともスシュムナー気道上に存在し、一列に並んでいます。イダー管・ピンガラ管は図のようにらせん状になって、そのふたつは各チャクラのポイントで交差しています。つまり、チャクラのある位置は、三つの管が存在する位置であるともいえます。

 一般的に言われるチャクラの役目、例えばアナハタ・チャクラには優しさ、情緒性をもたらす役目があるといわれます。しかし、それはアナハタ・チャクラが完全に浄化された後に発現する特徴です。それまではアナハタ・チャクラは、人や物事に対して執着する意識をまとめているに過ぎません。一番上のサハスラーラ・チャクラ以外は、他のチャクラも同様です。残念なことですが、各チャクラは浄化されない限り本来の役目を果たしません。それまでは、

 それぞれに対応した煩悩のエネルギーをロスするポイントでしかないのです。 七つのチャクラの名前とその位置については図をご参考ください。それぞれのチャクラは私たちの意識状態と密接な関係があります。その対応関係は非常に大切ですので、下から順番にここでひとつひとつご説明します。

ムーラダーラ・チャクラ                    
自分が苦しむくらいならためなら他はどうなっても構わないといった感情。エゴの極致。他を嫌悪する心。
激苦地獄につながる。

スヴァディスターナ・チャクラ
おもに性欲・甘え・眠気に代表される。物事を曖昧にする意識。
迷妄地獄(畜生界)につながる。

マニプーラ・チャクラ
貪り、貪欲。
貪り地獄(餓鬼界)に対応するチャクラ。  独鈷

アナハタ・チャクラ
情(じょう)、執着。
人間界につながる。

ヴィシュッダ・チャクラ
闘争や権力を好む心。
修羅天につながる。

アージニャー・チャクラ
願望達成、慢心。満足。
欲天につながる。

サハスラーラ・チャクラ
千の蓮華を持つチャクラ。クンダリーニが覚醒するとアージニャー・チャクラでエネルギーを漏らすことなく、初めてサハスラーラ・チャクラまでエネルギーを上昇させることが出来る。つまり、クンダリーニが覚醒するまではどんなに頑張ってみても、アージニャー・チャクラからエネルギーは漏れてしまう。
サハスラーラ・チャクラは欲天を超えて梵天以上の世界につながる。

 

 このエネルギーをロスするポイントとは何のことか、詳しく説明している人はまずいないと思います。これは、スシュムナー管を上昇するエネルギーによって穢れは崩れ、チャクラを通ってスシュムナー管に崩れ出て来ます。そして、エネルギーは強い力で穢れを通そうとします。その時、圧力がかかりストレスがギュッとかかります。

 精神的にもストレスがかかる状態になります。実際イライラするような感覚になるのです。この圧力で穢れが上に押し出されればよいのですが、気道に崩れ出た穢れが多すぎるか、もしくは上昇のエネルギーが弱すぎるかどちらかの要因で、大抵の場合エネルギーがせき止められてしまいます。すると、滞留したエネルギーは行き場を失って溢れだし、再びチャクラから全身に戻っていきます。つまり、全身の穢れはチャクラを介して移動しているのです。現象的にも、エネルギーがスシュムナー管を上昇するとイライラが始まり、イライラを解消したい衝動が生じます。他の人が見たら怒りっぽくなったように見えます。

 修行を本格的に始めた頃、私はアナハタ・チャクラに穢れがありました。私たちは誰しもがアナハタ・チャクラに穢れがあるために、人間として存在しているわけですので当然といえば当然なのですが。このチャクラは情(じょう)や執着を司っています。この世界そのものに対する捕らわれも、やはりアナハタ・チャクラによるものです。普段意識することはなかったのですが、やはり両親に対する情が強かったのです。この社会では情は良いものとされていますが、人は情があるために家族や友人の肩をもって、物事を正確に見ることができません。情によって偏った見方が生じるのです。ですから、この人間界で良しとされている情ですが、真理の眼差しでみれば、やはり穢れになってしまうのです。

 まだ穢れの昇華が今ほど進んでいない時分は修行を始めると、よくこんなことがありました。修行によってスシュムナー気道をエネルギーが上昇し始め、すでに管の中にあった穢れもエネルギーに乗って上昇しますが、同時にイライラしてきたりしました。これに耐えれば、穢れは昇華します。しかし、アナハタ・チャクラの穢れが多いためにエネルギーはマニプーラ・チャクラより先に上昇せずストップしてしまいます。そして「なぜ、ひとりこんなことをしなければならないのか、田舎の両親はどうしているだろう、心配しているだろうな。修行なんてやめて、両親と一緒に暮らそうか」そういった思考が次々に頭に巡って来ます。もしくは老後の心配が頭によぎったりします。「もう修行をやめたい、家族のもとに帰りたい」それだけになります。

 ここで自己を律する意思があれば、エネルギーは穢れを押し上げることが出来ます。上昇のエネルギーが穢れの多さに勝ったら、エネルギーは再び上昇するのです。そうなれば、それまでの「嫌だ、嫌だ」という気持ちが嘘のように消え去り、修行をする喜びや穢れを昇華することの素晴しさを改めて認識するようになります。そして、その時生じたアナハタ・チャクラの穢れを昇華することが出来るのです。

 しかし、修行を続ける意思力がなければ、あっても弱ければ、修行を断念しエネルギーをロスしてしまいます。エネルギーをロスすれば、一時の間エネルギーは上昇しにくくなります。あれほど強烈だった家族への思いもおさまりますが、わたしの意識は現象にとらわれやすい煩悩的な意識状態に安定してしまいます。これでは、私が持っている穢れは昇華されることはありませんし、高い意識状態になるということもありません。それどころか、アナハタ・チャクラを使ってエネルギーロスしたことで、このチャクラの穢れがより強まります。次にエネルギーが上昇した時によりアナハタ・チャクラからエネルギーロスしやすくなってしまいます。

 このようなエネルギーロスを重ねると、最終的にどうなるのでしょうか。各チャクラの説明をした時に書きましたが、サハスラーラ・チャクラ以外の6つのチャクラは六識世界(欲六界)の中の6つの世界と対応しています。私たちは日常からサハスラーラ以外のチャクラからエネルギーをもらしロスし続けています。そして人は死を迎えると、一生の間で一番多くエネルギーロスしたチャクラを通って肉体を抜け出て、そのチャクラに対応する世界に転生することになります。感情をチャクラから漏らし続けるということは自己の心の現れ出た現象ですから、その感情優位な世界へ転生することは当然なのです。

しかし、エネルギーを途中のチャクラで漏らすことなく、一番上のサハスラーラ・チャクラまで上昇させたら、それは穢れを昇華させたことになります。これはエネルギーの漏れではなく、欲界を超えた高い世界にエネルギーを放出したということになります。このようにサハスラーラ・チャクラを使うことは、他のチャクラと異なり、欲界以下の転生ではない、梵天以上の世界への転生と繋がります。

 そんなことはあるはずがないといわれるかもしれませんが、私は深い瞑想状態に入る際にいつも自分が死ぬ時の経験をしました。深い瞑想に入るたびに死を経験し、臨終の経験がどのようなものか、そしてその後どのような世界を経験するのかまではっきり理解しています。

 私がここで語らんとすることは、自分の修行体験に基づくこと、そこで感じ取ったこと、瞑想によって得たインスピレーションです。修行法のベースはやはり仏教修行ですが、お伝えすることは、より核心に近いものや具体的、実践的なことにしたいと思っています。それは、その方が間違いなく修行が早く進むからです。はっきり言ってしまえば、それほど大変革の時まで時間がないのです。

 話をもとに戻しましょう。私の場合、修行というものに出会わなければ、おそらくアナハナ・チャクラの穢れが強かったために再び人間界に転生していたことでしょう。しかし、修行をすることで、家族への執着もなくなりました。それは愛がなくなったという訳ではありません。家族も通りすがりの人も平等に見られるようになったということです。自分で望まない限りは、再び人間界に転生することはないでしょう。

 他にも天国や地獄を経験しました。ムーラダーラ、スヴァディスターナ、マニプーラ、この三つのチャクラからエネルギーロスし続ければ、それぞれ激苦地獄、迷妄地獄、貪り地獄に転生します。これら世界の苦しさは筆舌しがたいものでした。瞑想中には時間の概念はありませんから、この激苦が一体いつまで続くのか、気が遠くなるものでした。この世のいかなる苦しみでさえ、まだそれに比べたらぬるま湯のようなものでしょう。誰にもこんな経験はさせてはならないと強く思いました。それを理解するために、自分はこのような経験をしたのだと悟ったのです。古の聖者方の慈悲深さも、そういった経験、いやそれ以上の深い地獄の瞑想経験から生じたものに違いありません。

 私たちは自分のなしている行為というものを、今一度見つめなおさなくてはいけないのです。果たして、今を楽しむことばかり追い求めていて、それでいいのでしょうか。今、自分が為そうとしている行為に対して果たしてこれでいいのかと、この行為が自分にどういった結果をもたらすのか、逐一考えていただきたいのです。これは地獄を知った者の、心からの願いであります。

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真我への道 クンダリーニ覚醒について

                                         (2011/11/8)

 今回は、前回に引き続きエネルギーのことをお話しようと思います。興味のある方も多いかと思われる、クンダリーニ覚醒についてです。

 クンダリーニ・エネルギーは誰もが潜在的に持っているものの、普通は覚醒していません。良く言われるように、ヘビがとぐろを巻いたような状態で尾てい骨で眠っています。ヨガでもクンダリーニの覚醒を促す行法があるように、クンダリーニ・エネルギーが覚醒するためにはそれ相応の鍛錬が必要です。一生かかって覚醒できるかどうか、それぐらい稀有のものです。しかも、覚醒するためには多くの功徳を要します。

  しかし、そういった鍛錬とは全く無縁にもかかわらず、事故などのショックによってクンダリーニが覚醒する人がごくまれにいます。これは非常に危険なことです。ほとんど知られていないことですが、しっかりした指導者のもとでクンダリーニが覚醒されないと、おそらくその人は気が狂ってしまうでしょう。自分の意志とは無関係に身体が動く、人格が崩壊する、俗にいわれる憑依現象になってしまいます。

 クンダリーニが何か、その神髄をご説明する中で、なぜ指導者なしにクンダリーニを覚醒させるのが危険であるのか、説明していきましょう。ここからお話しますのは、私のクンダリーニ覚醒の経験やその後のヒーリングの経験に裏付けられたものです。

 クンダリーニが覚醒する前に私たちの身体の中で活発に働いているエネルギーにアパーナ気があります。このアパーナ気は、下に向かうエネルギーであり、排泄・生殖活動・歩行など司ります。つまり、下半身を使った行為全般に必要とされるエネルギーです。このエネルギーが活性化すると、私たちの意識も下向きの引力が働き下降してしまいます。しかも地獄に至るような悪しき行為(嫌悪・無智・貪り)を積み重ねることによって、私たちはこのアパーナ気を増大させてきました。今の日本は、このアパーナ気が優位にある状態です。渋谷・新宿・池袋などの人通りの多い街は、車から降りた途端に足が重くなる感覚があります。アパーナ気が強烈に働いて、身体を下向きに引っ張るからです。

 クンダリーニが覚醒していない段階で修行を始めそれによって自己の浄化が進むと、まず今まで下降するエネルギーであったアパーナ気が上昇を始めます。そのとき、アリが背筋を這い上がるようなモゾモゾした感覚やお湯が背筋をちょろちょろ流れるような感覚がある人がいます。この感覚は、時々クンダリーニ覚醒と間違えられることがありますが、実際はクンダリーニ覚醒の前段階です。

  私の場合はそういった感覚はありませんでしたが、修行を始めるまでどうしても止めることの出来なかったタバコを難なく止めることが出来ました。これはエネルギーが上昇し始めた証拠です。このようになるとストレスを漏らす必要がなくなるのです。タバコを吸いたくなるというのは、ストレスが漏れているからなのです。 上昇に向かったパーナ気は頭頂まで達し、そこにたまっていきます。エネルギーが満ちてくると、人によっては頭に鉢巻きをまいたように頭蓋を輪っか状に締めつけられる感覚が生じます。

  そして正しい指導者のもと、アパーナ気の上昇を何度も繰り返し、最終的にはクンダリーニを覚醒させます。まずエゴを増大させないように、自己の捕らわれの意識をなくしていきます。具体的には、自己の様々な煩悩を満たさないようにして、ストレスに耐えることです。このストレスの力によってアージニャーチャクラからサハスラーラ・チャクラまでのスシュムナー気道をごくわずかに通します。クンダリーニの通り道であるスシュムナー気道がムーラダーラ・チャクラからサハスラーラ・チャクラまで身体の中心を貫きます。これが、クンダリーニ・エネルギーの覚醒です。

  そして、自分の身体に存在する穢れがスシュムナー管に崩れ出ると、ムーラダーラ・チャクラからクンダリーニがスシュムナー気道を上昇してきます。その時経験ないほどの強い恍惚感が生じます。そして、そこでエネルギーをどのチャクラからもロスすることがなければ、エネルギーは穢れをサハスラーラ・チャクラまで押し上げます。そして、その穴を抜けて、穢れは高い世界に昇華されていきます。最初はアージニャー・チャクラより上のスシュムナー気道はごく細いものですが、クンダリーニ・エネルギーを何度も通し穢れを昇華させることで徐々に太くなっていきます。覚醒直後ひどい風邪をひいた時のように悪寒と発熱を繰り返す人もいますが、すべての人がそうなるわけではなく、なんともない人もいます。

  このように、本質的にはクンダリーニとは、穢れを昇華するためのエネルギーです。 しかし、その人の意識が自分の幸福に向いていた場合、自分の好みや執着などを満足させようと現象を変えていくために、真っすぐ上昇するはずのエネルギーがぶれてしまい、サハスラーラ・チャクラに到達しません。このエネルギーのぶれが気を狂わせるのです。

 このぶれを修正するのが、正しい指導者です。弟子を自分のエゴをなくす方向に導き、真に他を利するという慈悲の意識を植え付けます。これらの両側面から指導があれば、エネルギーがぶれるようなことはなく、垂直に上昇します。自分ひとりでは、強固なエゴに打ち勝ち、純粋な慈悲の意識を持つことは大変なことです。ですから、正しい指導者のもとエゴを滅し慈悲を培いつつ穢れを昇華する道をとることがなんといっても一番良いでしょう。正しい指導者とは無論クンダリーニが覚醒しており、その仕組みを深く理解していること、かつ広大な四無量心を備えていることが不可欠です。 適切な指導もなく何かのショックでクンダリーニが覚醒してしまった人は、そのまま放っておいては非常に危険です。いつも「自分のことではなく、他を利すること」に集中するようにしてください。そして、今いったような観点から適切な師を見つけてください。どうしても適切な指導者が見つからない場合は、こちらにご連絡くださってもかまいません。ヨガのムドラーやプラーナヤーマでも覚醒することはできますが、私は皆さんにより安全な方法として、慈悲を強めていく瞑想によるクンダリーニ覚醒をお伝えしています。

  私がクンダリーニ覚醒を果たしたのは二十数年前です。その後、徹底して他者のためにエネルギーを使えるようになったのが、十数年前からでしょうか。その頃はヒーリングをしていたのですが、ヒーリングなどをすると自分のスシュムナー気道にお客さんの強い穢れが入ってきます。その晩休むために畳の上で仰向けになると、その穢れを昇華するためにクンダリーニが急上昇し、それに呼応してまるでイルカが泳ぐ時のように身体がきまって波打ちました。 最初にお尻が勝手に締めつけられ、骨盤が拡がるような感じがします。その時、スヴァディスターナ・チャクラの穢れが上昇するのです。そして、仙骨の出っ張りが引っ込み、背筋が平らになって畳にぴったりくっつきます。胸を張るようにアナハタ・チャクラのあるあたりが開きます。そして肩甲骨が広げられたような感覚があり、最後にあごが持ち上がり、のけぞるようになります。穢れが昇華されるまで、この波打ちの現象は何度も繰り返されるのです。そして、背中が畳に完全にピッタリくっつくまで、およそ30分、その状態は続きます。その後は完全なリラックス状態になります。スシュムナー管の穢れはなくなり、何の引っ掛かりもなくスムーズにエネルギーが通るようになります。このような身体が勝手に波打つ現象は今も続いており、強く他者と関わった時に起こっています。

  クンダリーニの本質は穢れを昇華するためのエネルギーですが、慈悲の意識がなければ正常に機能しないことからも分かるように、クンダリーニとは慈悲のために使うのが本文であると確信するようになりました。他者と関わり、このような強いエネルギー上昇を幾度も経験することで、ますますその思いは強くなりました。 クンダリーニを覚醒させ慈悲を増大させたい方は、このホームページをご覧になりながら、自宅で修行が出来るように計らっております。共に修行を頑張っていきましょう。

クンダリーニ上昇による

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出雲大神宮真我への道 エネルギー上昇させる方法、水について

                                         (2011/11/4)

 力のあるお水は日本各地にありますが、私がお薦めするお水は二つあります。二つとも、霊的エネルギーを素晴しく上昇させます。

 ひとつは京都府亀岡市の出雲大神宮の境内に湧き出ている御神水「真名井の水」です。出雲大神宮は、島根県の出雲大社に対して元出雲といわれる由緒ある御社です。とても素晴らしい波動を出している神社です。御本殿の後ろにある御陰山は、国常立尊が鎮まる御神体山です。御神体山全体のバイブレーションはさらに素晴しいもので、山に足を踏み入れると本当に心が洗われるようです。この御神体山から湧き出る御神水はミネラルバランスもよく、霊験あらたかな水とされ古くから万病に効くと貴ばれてきました。

 ふたつめは、秩父にある今宮神社の「清龍の滝」の御神水です。武甲山の伏流水が湧きでています。八大龍王神を祭る今宮神社は古くから水に関係しており、4月の水分(みくまり)祭で御神水を秩父神社に授与しています。ここも、お清めの霊水として珍重されています。

 これらふたつの御神水は煮沸させても、生水のままでも十分に効力を発揮します。しかし、御神水でお茶を淹れると、どういうわけか効果は半減していまいます。

真名井の水 前回お話しましたお茶は、今生のカルマだけではなく過去生のカルマも昇華するということをお伝えしました。この御神水によって今生のカルマ(穢れ)だけが導き出され、エネルギー上昇します。過去生の穢れは昇華されませんが、その分今生の穢れだけが昇華するため、ものすごい勢いで昇華されます。

 これらの御神水も修行に使えば大きな効果が得られます。がんばって一日2リットル以上飲んでみてください。人によっては3リットルほど飲むと頭痛がしてくる人もいますが、それは自己のスシュムナー管にある穢れがエネルギーによって急上昇したためです。強い浄化の証と考えていただければよいと思います。頭痛がする量よりやや少なめの水を一日に摂るようにすれば、霊的修行をかなりの速度で押しすすめ応援してくれることでしょう。

  また、この御神水を使って拭き掃除をすれば、部屋のバイブレーションが一変します。冬は空気が乾燥していますから、霧吹きで御神水を軽くまくとよいでしょう。手軽に同じような効果が得られます。それだけで、御自分の部屋を素晴らしい修行空間に変えてくれます。

清龍の滝


 

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真我への道 エネルギーを上昇させる方法、お茶について 

                                         (2011/11/2)

 意識の変革期まで時間があまりありませんので、霊的修行を早く進めるため方法をひとつお教えしようと思います。それは、あるお茶を飲むことです。単なるお茶とあなどるなかれ、ヨガ同様ににエネルギーを急上昇させてくれるお茶なのです。

 その素晴らしいお茶は、アメリカのジェイソン・ウィンターズティー社のオリジナルブレンド「ジェイソン・ウィンターズティー・プリブルード(Jason Winters Tea Pre-Brewed)」というハーブティーといいます。パッケージはいかにも健康食品という感じなのですが、ウーロン茶がベースなのでクセがなく存外飲みやすいです。私の飲んだ時の感じでは、免疫力がアップするようです。

ジェイソン・ウィンターズ・ティー 私自身は写真の4オンス(4Ounces)のお徳用タイプを、ネット上の輸入代理店を通して個人輸入しています。注文してから長く待たされるのも嫌ですし保証付きなので、EMS(空輸便)使っています。20個前後まとめて購入していますが、きっちり密閉してありますから特に問題はありません。

 あと、購入する際の注意点なのですが、ジェイソン・ウィンターズティー社のお茶はたくさんのフレーバーや種類があります。名前がわずかに違うだけでほぼ同じパッケージですので、よく注意してください。また、送られてきた中にも違う商品が間違って混じっていることもありますので、パッケージを開封する前に種類と重さを確認された方がいいと思います。

 私は現在多い時で8リットル、どんなに忙しい時でも4リットルは飲むようにしています。人によっては一日10リットル以上飲むと、肝臓に負担がかかることがあります。私は過去に一日24リットル飲んだことがありましたが、この時はやはり肝臓が疲弊しました。

 なぜ肝臓に負担がかかるのかというと、このお茶は強い浄化の力を持っているためです。私たちが一生の間に経験する業(カルマ)というものは人によって決まっているのですが、このお茶は今生経験する分の業(カルマ)の浄化はもちろんのこと、このお茶には通常なら今生は経験するはずのない過去生の分のカルマも導き寄せる力を持っています。この強い力によって引き出された穢れを肝臓が無害化することで、穢れが浄化されていきます。しかし、お茶をたくさん飲みすぎると一度に大量の穢れが引き出され肝臓の働きの許容量を上回ってしまい、肝臓が疲れてしまうのです。しかし、このお茶を肝臓の負担にならない程度に飲むことでも、かなり修行を進めることが出来ます。プラーナヤーマ(ヨガの呼吸法)も大切ですが、それが不得意な方はお茶をたくさん飲むことで、同様のエネルギーの上昇を経験出来ます。

 また飲み始めの頃の症状として体内の毒素が尿と一緒に排出され、その成分により尿が泡立つことがありますが、やはり心配することはありません。また、お茶には宿便を取り去る作用もあるようですが、たくさんの飲むと時に便秘になることがあります。これはエネルギーが上昇している証です。

 これはあくまでも私の経験なのですが、飲み始めの頃このお茶を一日4リットル飲むだけで頭頂から冷たい雨のような不死の甘露(アムリタ)がザァーとつたわり落ちてくる感覚がありました。不死の甘露とは、チャクラの穢れを浄化させてくれる霊的な液体です。 

 甘露が落ちてくる感覚が得られないまでも、人によっては身体中が赤くまだらになるくらい、全身のナーディー(気のエネルギーが通る管)の詰まりを取ります。私の場合は飲み慣れた頃にはだいぶナーディーが通っていましたから、逆に甘露の落ちてくる感覚はなくなりました。また、エネルギーの急上昇にともなう吐き気や頭痛などが現われる場合があります。これは浄化の証であり、一過性のものなので安心してください。

 エネルギーを上げる食品はいくつもあるのですが、初めてこのお茶を飲んだ時は本当にびっくりしました。こんなにすごいお茶は、修行を志す者にとっては本当に心強い限りです。ぜひ、少しでもたくさん飲んでいただきたいと思います。

最後に、お茶のいれ方についてご説明します。

@茶葉を計量スプーン大さじですりきり2杯(30cc)を麦茶や出汁用の袋(スーパーで売っています)に入れます。

A5リットルのやかん、できたら笛吹きやかん(ピーピーケトル)に浄水かミネラルウォーターを4リットル入れます。

B水のうちからやかんに茶袋を入れ、強火にかけてください。沸騰したら、笛吹きやかん(ピーピーケトル)の場合はとろ火にして、普通のやかんなら弱火にして、そのまま20分火にかけてください。

C20分後火を止め、茶袋をすぐにやかんから出します。温かいままでもいいのですが、たくさん飲む時は常温まで冷ました方がよいでしょう。冷やしすぎは禁物です。冷たいものは身体を冷やし、エネルギーを上がりにくくします。

Dお茶がらにはものすごいパワーが残っているので食べてもいいのですが、たくさん食べすぎると胃を痛めてしまいます。トーストにパラパラふりかけて食べるくらいに止めておいた方がよいでしょう。また、植物に力を与える肥料としても活用できます。

*5リットルのやかんがない場合は、水1リットルに対して計量スプーン中さじすりきり一杯(7.5cc)の割合で、同じ時間わかして下さい。

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真我への道 食品とエネルギーの関係

 食べ物の中には、漢方のようにいろいろな効能を持つものがあります。エネルギーを高めるもの、エネルギーを下げるもの、あるいは体を温めるもの、体を冷ますもの。いろいろな効能を持つ食べ物が存在します。自分の目的にあった食べ物を意識的に摂取することで、修行を効果的に進めることができます。

 仙道においては、そういった食べ物の効能に着目し積極的に修行に役立てているようです。できるだけエネルギーを高める食物を取るように努めているのです。

 ナッツ類・黒ゴマ・山芋や自然薯の類は、それぞれがエネルギーを上げる要素を持ち合わせています。

 

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真我への道 料理とエネルギーについて

                                         (2011/12/21) アトラス・パスタマシーン

 料理を作ると、必ずその料理に料理を作る人のエネルギーが入ります。特にカレーやシチューなどは長時間煮込みながら焦げつかないように、まめにかき混ぜます。知らず知らずのうちに、私たちはかき混ぜながら念を送っているのです。

 料理をする人が修行と無縁でありナーディー(全身の気の管)に滞りがあれば、そのナーディーの穢れが料理に移入します。それを食べれば、もちろん食べた人にエネルギーが移入してきます。しかし料理を作る時に、例えば慈悲を培う利他のマントラを唱えると、どうでしょうか。その時は慈悲の念が料理に込められるようになります。

 固形物の場合、かき混ぜなくても手の平からエネルギーが入ります。ご飯を両手で包んで圧迫するとおにぎりが出来上がります。おにぎりに対してぎゅっと圧をかける時、一緒に念が入るのです。

 カレーやシチューと同様におにぎりを握る人のナーディーが滞っていると、そのナーディーの穢れがエネルギーとしておにぎりの中に封入されます。そのエネルギーは食べる人に連動するのですが、それはおにぎりを握った人のスシュムナー菅の穢れとおにぎりを食べる人のスシュムナー菅の穢れが同調しオーバーラップすることで連動してきます。それを食べる人が、おにぎりを作った人よりもナーディーがきれいに通っていれば、おにぎりを握った人の穢れがシュシュムナー菅に穢れとして生じます。そして、その穢れが一気に上昇し昇華に向かう時に頭痛が生じます。そのおにぎりをおいしいと感じても、頭痛はそれとは無関係に起こります。

エネルギー分布 ですから、おにぎりを外で買う時は手造りのお弁当屋さんのものではなく、機械で作ったコンビニのおにぎりエネルギー的には一番楽です。

 なぜ、お母さんのおにぎりがおいしいのか、それはお母さんが愛情を込めているからです。この愛情にアナハタ・チャクラ(情)の念だけでなくスヴァディスターナ・チャクラ(子どもに対する愛欲)の念もこもっています。スヴァディスターナ・チャクラの、物事を良く見せようというエネルギーが働き、おいしくなるのです。

 パンや麺類をつくるために生地を手でこねた場合も、同じように作る人の穢れが生地に入ります。おいしいものを作ろうと頑張れば頑張るほど、その人のエネルギーが入ります。これは仕方がありません。

 まだ手でこねる場合は良いのですが、うどんは足で踏んで生地をこねます。足腰で踏んでこねる場合はアパーナ気を使うため、腕でこねるのと比べものにならないくらい多くの穢れが入ってきます。アパーナ気とは下半身の運動で使われるエネルギーです。

 以前、讃岐で私はかま玉うどんを食べました。その時、頭痛どころか顔がどす黒くなり目の周りは紫色っぽくなりました。それほど強烈なカルマ交換が起こり、エネルギーの滞りが生じたのです。そんな状態になったのにも関わらず、あまりの美味しさにお替りをして、ふらふらになってしまったことがありました。私がまだ味に捕らわれていた頃のお話です。

  こね工房  
 

どうしても手造りうどんという方は、これをどうぞ。

オークションで15000円前後で購入できます。

 

 

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真我への道 料理とエネルギーについて(2

                                         (2011/12/27)

 数日前に、料理した人のエネルギーが料理に入るということをお話しました。それだけ聞くと、浄化の修行を進めている人は誰かの手料理を食べることを嫌悪するようになってしまうかもしれません。しかし、菩薩行を行っている者は、それではいけません。

 料理にエネルギーがこもるのであれば、それを利用して慈悲の実践をしていくべきでしょう。浄化が進めば、誰かの手料理を食べることによって頭痛や身体の痛み・倦怠感を感じることがあります。例えば、アナハタ・チャクラに捕らわれのある人が作った料理を食べれば、はっきりと胸に痛みを感じることがあります。浄化が進めば進むほど、一般の人とのエネルギー的な隔たりは大きくなりエネルギーを交換した時の痛みも強く感じられます。しかし、それを実感できるまでに自己の浄化が進んだことを喜びつつも驕(おご)らず、穢れが入ってくることを嫌悪せず料理を作ってくれた人の穢れが入ってきたら慈悲を持ってそれを受け入れてください。他者の穢れを自分が引き受けることによって、その分その人が苦しみから解放されたことを喜んでください。

 そして、あなたの目の前にいる他者はつまるところはすべて自己の心の現われであり、彼らの穢れも他者のものではなく、本来あなた自身のものです。自己に内在する穢れが、他者の手料理を食べることをきっかけに崩れ出てきただけなのです。ですから、その穢れが自分に戻ってきて、それを昇華するチャンスに恵まれたことを感謝しなくてはなりません。嫌悪することなど何一つ存在しないのです。

 お釈迦様やそのお弟子は托鉢などをして信者の布施によって食事をまかなっていました。それは、手料理を慈悲をもっていただかなくてはいけないのと同じ理由です。一般の人は自分で穢れを昇華することはありませんから、その人たちの食物を受け取る事でその人たちの穢れも一緒に引き受けます。それを出家僧は自己の穢れとして修行により昇華していくのです。出家僧はそれにより功徳を積むことができますし、食物の布施をした信者も布施を積むことができます。このような仕組みによって多くの人が真理の実践ができるようにお釈迦様は取り計らったのです。

 自分が料理をしそれを修業していない一般の人に食べてもらうという機会があるのなら、その時は慈悲の思いを込めて調理してください。自分の最良のエネルギーがその人に行くように、それによってその人が苦しみを軽減させることができるように、自分とのエネルギー交換によりその人がいつか真理にめぐり合うように、そのような思念を持って調理しましょう。逆に煩悩的な意識をもって調理するようであれば、自分の煩悩的な意識が移行し悪業を積むことになってしまいます。

 これは調理以外のことでも同じです。何をするにも、自分が今行っている行為は果たして慈悲によるものなのか、そうでないのか真理に照らし合わせて考えなくてはなりません。それができるようになったとき、あなたの経験する世界はまったく別のものに変化していることでしょう。

 もし、あなたが自分以上に修行の進んだ師や先達に自分の手料理を召し上がってもらうようなことがあるのならば、自分の穢れをその方たちが引き受けて下さるということですから、謙虚さと感謝とをもって細心の注意を払い調理すべきでしょう。神様に捧げるお供物も同じです。自分にできる精一杯の努力をして、なるべくおいしいものを捧げるほうがいいのです。神々や師に対する帰依は自分の進むべき道を照らしてくれます。

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真我への道 共用の椅子に座ると他者のエネルギーが入ってくる

(2012/01/16)

修行により自己の浄化が進んでくると、この世界の中で自分と他者との間でいかにエネルギーの交換をおこなっているのか、ことあるごとに理解させられます。それを理解できるのは自分の浄化が進み、修行をしていない人より抜きん出たからこそです。それまでは周囲の人たちと横並びであったために、エネルギーの交換をしていても気付くことがなかったのです。

 例えば、公園のベンチや電車の座席、病院の待合室のソファーなど共用の椅子に腰掛けると、その椅子を使った多くの人とエネルギーの交換がされます。私たちのエネルギーというものは、椅子に座るとそこに残留思念のように残ります。その椅子に座れば、自分のおしりから他者の残したアパーナ気が入ってきます。修行者は通常アパーナ気が撤退していますが、外からアパーナ気が入ってきてそれが優勢になると、自己の意識は低下してしまいます。共用の椅子に座ると足が重だるくなったり、下に引っ張る重力が増すような感じがするようになるでしょう。これを少しでも軽減させたいのなら、自分専用の座布団を携帯しどこでも使うようにすると、かなりエネルギーの交換は薄れます。

 このように書きますと、共用の椅子やベンチに座ることに抵抗を感じるようになってしまうかもしれませんが、食品添加物の項目で書いたようにどんなに意識が低下しようと、また修行をすればいいだけです。他者とエネルギーの交換をしどんな穢れを引き受けても、それを修行によってクンダリーニを上昇させ昇華できるのです。

 私たちはこの世界にいる限り、あらゆることで他者とエネルギーの交換を行ています。何もしなければ、他者と自分のエネルギーは均一になり、修行を始める前の状態に戻ってしまいます。しかし修行をしていけば、ただ普通に生活するだけでも自動的に他者の穢れを吸収します。慈悲をもって修行を続ける限り、この世界で現実に他者の苦しみ(穢れ)を引き受けるということを実感できるようになります。

 何度も言うように、この世界は自己の心の現われであり、他者の穢れは自分のものにほかなりません。その穢れをひとつひとつなくし心を透明にしていく、私たちはそれを修行によって体感していけるのです。

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真我への道 過去の自分とのエネルギー交換

(2012/01/20)

 日々の修行を休まずたゆまず行い、常に心を真理と慈悲から離さないでいれば、確実に自己のカルマは変化してきます。しかし実感としては、昨日の自分と今日の自分は一向に変っていないような気がします。それどころか、修行を始めると怒りや嫌悪、貪り・性欲などの煩悩が強くなったように感じられることもあるでしょう。しかし、別にそれは修行が後退したというわけではありません。

私たちは、無始の過去より延々と現象に捕らわれ、自己の穢れを形成してきました。そして、その穢れを膨大に蓄積させています。修行を始めれば、真理のデータを取り入れ新たな穢れの発生を抑えるようになります。またすでに蓄積させてしまった穢れに関しては、それを強いエネルギーによって切り崩し、昇華させていくことができます。この強いエネルギーが上昇することによって、自己の穢れがスシュムナー気道にどんどん崩れ出てきて、自分の今現在の意識にその穢れ(煩悩的思考・欲求)が浮かび上がってきます。

 そのため自己の煩悩が増大したように感じられるのです。それが自分の修行は進んでいないのではないか、後退しているのではないかと感じてしまう理由です。しかし、これは穢れを昇華させる前段階です。もともとその穢れは自己のものであり、どこからか降って出てきたものではありません。そして穢れを意識の奥底に眠らせているだけでは、その穢れは昇華されることは絶対にできません。表に現れ出た煩悩的意識に心を乗せないで淡々と修行に専念する、もしくは慈悲の思念を続けていけば、自己の持っているカルマは徐々に変わるのです。

 修行によってカルマが変化した証拠として、過去の自分とエネルギー交換をするとナーディーの詰まりを感じます。例えば衣替えをして半年間着ることのなかった服を着れば、半年前の自分とエネルギーの交換をします。無論、他者の洋服を着ることがあれば、強く交換します。しかし、たとえ過去の自分であっても修行によって急速にカルマが違ってきているために、他者とエネルギーの交換をするのと同じようにナーディーが詰まりエネルギーが滞ります。しかし過去の自分の穢れも他者の穢れも同様に、修行によって昇華することが出来ます。

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真我への道 甘露の原理

(2012/01/25)

甘露(アムリタ)の経験についてお話しようと思います。甘露というのは、インドでは不老不死の霊薬とされています。これはおとぎ話や神話の話ではなく、修行上の霊的な経験として存在しています。実際に、修行が進めば甘露が降り注がれる経験をすることができます。

 一般的に修行を進めていくと、この甘露の経験をすることができるといわれています。特に、徹底的に懺悔(ざんげ)を行うことで甘露の経験につながります。懺悔を徹底的に実践すると意識を下降させるアパーナ気が逆に上昇に向かい、頭頂にエネルギーが充満してきます。それが満ちたりると、ひんやりとした、冷たいものが頭頂に落ちてきます。そして、頭頂が冷たくなり不死の甘露が各チャクラを浄化してゆきます。

 修行中や瞑想中以外で、この甘露を経験するようになったのは、病院のソファに座った時が初めでした。大きな病院の待合室にある、ごく当たり前のソファに座るなり、いきなり頭頂がしびれ、冷たいものが溢れ出しました。不死の甘露が落ちてきたのです。

 これはどういうことかといいますと、本来は修行を一生懸命に行うことによって頭頂にエネルギーを充満させるわけですが、私の場合は煩悩を満たすことがありませんでした。よって、各チャクラよりエネルギーをロスすることもなく、チャクラを自分から汚すことはありませんでした。それにより浄化のために甘露が使われることがなく、常に不死の甘露が満ち満ちていて、それが当たり前なっていました。

その状態で、多くの人が座るソファに腰を下ろしたことにより、そこに残された多くの穢れ(煩悩的なエネルギー)が各チャクラから入ってきたのです。その穢れを浄化するために、何の集中することも無く自動的に甘露が落ちてきたのです。事実、この不死の甘露によって各チャクラは清浄になったのでした。

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真我への道 羊肉(ラム・マトン)はエネルギーを上昇させる

(2012/01/27)

 このタイトルを目にして、ほとんどの方は驚かれるだろうと思います。エネルギーを上げる食品があることは理解できても、肉類を食すことでエネルギーが上がるとはなかなか想像がつかないことではないでしょうか。

 実際に修行を始めて間もない人は、ラムやマトンを食べることでエネルギーが上昇します。浄化が進みエネルギーの流れを実感するようになれば、それがよくわかることでしょう。特にマトンは匂いは強いけれど、ラムに比べてもエネルギーが上昇しやすいのです。

 なぜ、羊の肉を食べるとエネルギーが上昇するのか、それは古くから羊が神々に捧げられてきたという歴史があるからです。そのデータが羊の固体だけではなく種全体に刻み込まれているのです。そのデータがアーラヤ識に存在するために、羊肉は他の肉に比べて群を抜いて食べる者のエネルギーを上昇させるのです。

 しかし、ラムやマトンによって上昇するエネルギーは、慈悲の思念や真理の修行によって上昇するエネルギーとは質が異なります。一言でいってしまえば、粗雑なエネルギーというべきものです。その証拠に、修行が進み心身がより透明になれば、羊肉を食べてもエネルギーが上昇することはなく、マトンでさえ他の肉となんら変わらないと感じるようになるのです。

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真我への道 エネルギーの上昇

(2012/02/08)

宇宙遊泳 自分の部屋など、いつも決まった部屋で修行をしている場合、自分自身が修行によってエネルギーを上昇させることに伴い、その部屋の空間自体もエネルギーが上昇する空間に少しずつ変化します。エネルギーが上へ上へと引き上げられるため、自分の身体が軽やかになります。

  長期間にわたってその部屋からほとんど出ないようにすると、意識を下降させるアパーナ気が撤退していき意識は高まります。アパーナ気は排泄をつかさどるエネルギーでもあるため、その気が撤退しているとどうしても便秘になってしまいます。一週間もすると腹部がどんよりする感じになるため、その時はサンカ・プラクシャーラナ・クリヤーをお勧めします。

 その部屋から一歩外に出ると、外部はそんな良いエネルギー状態ではないわけですから周りのエネルギーと同調し、当然自己のエネルギーは低下します。撤退していたアパーナ気も増大します。その状態で再び自分の部屋に戻ってくると、その部屋の空間自体の上昇のエネルギーによって、再び自分のエネルギーは上昇を始めます。身体が浮き上がるような感覚と、綿で出来た床をふわふわと歩いているような、あるいは宇宙遊泳でもしているような感覚になります。これは増大し安定していたアパーナ気が不安定になるためです。しばらくするとアパーナ気は撤退するため、ふわふわする感覚はなくなります。

 このような感覚は何も本人に限ったことではなく、もし霊的に敏感な友達がいるならば、この部屋に入るなり足元が軽やかになり、まるで綿の上を歩いているようなふわふわした感覚になるのが、その人にもわかるでしょう。

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真我への道 料理の味付けについて

(2012/02/20)

 私たちが食べるものはほとんどが調理されたもので、素材をそのまま食するということは果物や一部の野菜を除いてほとんどありません。素材を切ったり加熱したりし、塩・しょうゆ・みそ・砂糖・酢・さまざまな香辛料で味付けしています。

 それらの味付けが濃いものを好む人も多いかと思うのですが、そういった人は地獄のカルマが強いといえます。また刺身などの生魚や生の貝やカキや、たたきなどの生肉、レアのステーキやローストビーフなどの半生の肉料理も同じように味が強く、地獄のカルマが強いものです。

 逆に無味に近い味付けを好む人は、味覚に捕らわれていないということですから、天のカルマが強いのです。よって、修行者は調理するにしてもごく薄い味付けにするほうが望ましいでしょう。

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