玉置宏千の世界観

その他のこと

 

真我への道 日本全国神社への祈願

                                         (2011/11/30)

 

CRIMSON collection vol.1/2数年、私は日本全国の神社をめぐり、ある祈願をしてまいりました。大きな神社から町の小さな神社、地域によっては祠(ほこら)と呼ぶべきものまで無数の神社にお参りしました。

 私がそこで祈願することはただひとつ、すべての魂が救われニルヴァーナに至って欲しい、そのことだけでした。そこに祭られていらっしゃる神々にも、そのためにご協力くださいとお頼み申し上げていたのです。たいていの神様はご了承くださいますが、中にはなかなか応じていただけない神様もいらっしゃいました。

 神主がきちんと祝詞(のりと)を奉じていない神社は、どうしても神様も頑なになってしまいます。というのは、参詣者が合格祈願や商売繁盛など自分のエゴを満たすような祈願をするためです。私たちにとっては当たり前のお願いですけれども、その神社の神様にとっては、それは身勝手な煩悩の穢(けが)れを押し付けてくるようなものなのです。それでも毎日祝詞を上げていれば、その穢れも高い世界にいらっしゃる神様のもとに上げることができます。そのように祝詞を仲立ちにして、神様が人間の穢れを引き受けてくださっているのです。

 しかし祝詞がなければ、その煩悩の穢れはそこに滞留してしまいます。神社が穢れだらけになれば、神様もやっぱり怒ってしまわれます。もちろん祈願なんて聞いてあげないでしょう。神様もお引き受けにならない祈願はどうなるかといいますと、人間の所有をすでに離れていますから、餓鬼が貪ります。それが降り積もれば神社であろうと餓鬼の吹き溜まりと化してしまうのです。

CRIMSON collection vol.4/5 そのような神社で頑なになってしまわれた神様に対しても、5分でも10分でも辛抱強くお願いします。そして、神社に滞留している穢れを私の方で引き受けます。そうしますと、神様につながりご了承をいただけたのがふっと感じられます。その瞬間から神社自体のバイブレーションも大きく変化します。これからは、その神様も私たちの衆生済度(しゅじょうさいど)の応援に加わってくださる、それがはっきりわかるようになるのです。

 私はこのように全国の神社の神々にすべての魂の救済をお願いしてきました。どの神様も、これから起こるアセンションを無事にむかえための、すべての魂がことごとく救われるためのお手伝いをしてくださっています。私は、今も多くの神々のご加護を感じています。私がエネルギーを上昇させるようなお水に恵まれているのも、その一例でしょう。

 これから先どのような困難があろうとも、最終的には私たち全員が救われる、私はそれを確信しております。それはこのような神々のご加護が背後にあるからにほかなりません。私自身はただエゴをそぎ落とし、すべてを神々にゆだねてしまえばよいのだと思っています。

この神社巡りの際、車の中でいつも聞いていたのが『クリムゾン・コレクションVol1〜7』(CD3枚に分かれています)の中の「守護〜Guru Ram Das(For Protection)」「祈り〜Ardas(Answers Your Prayers)」という二曲です。どちらも大変美しい曲です。

CRIMSON collection vol.6/7 一曲目の「守護」は、静マナ識世界(梵天以上の世界)におられる、私の師(Guru)を讃(たた)える歌として聴いていました。自身の師を讃えることは喜びであり、そのように師に意識を合わせることは私のエネルギーをいつも上昇させてくれるのです。また「祈り」を聴くときは、「他にどう思われようと何があろうと自分は衆生(生きとし生けるものすべて)に慈悲を送り続けねばいけないのだ」という決意を思い出すのです。

 これらは私自身の個人的な捕らえ方ですが、そのように思えて仕方がないのです。もともとはシク教徒のための曲ではあるのですが、自己の師(Guru)を讃えることは帰依に違いなく、どんな宗教であれ、その心は尊いものです。

( ※この二曲を修行中にかけることはお勧めしません。 )

このページのトップへ 

トップへ 

 

 

 

真我への道 君が代

                                         (2011/12/20)

 十数年前の冬のある日、友人に「巣鴨プリズン跡に行ってみないか」と誘われ、他の人も誘い私たちは総勢5人で靖国神社を参拝した後、巣鴨プリズン跡に行きました。「永久平和を願って」」

 

 あまり知られていませんが、巣鴨プリズン跡というのは東京・池袋サンシャイン60のビルが建っている一画です。この地には戦時中は思想犯などを投獄していた拘置所がありました。戦後は戦犯を収容する巣鴨プリズンに姿を変えました。そこには処刑場が併設されていました。この処刑場で戦後A級戦犯とされた人たち7名とB・C級戦犯54名が処刑されたそうです。さすがに、そこは建設用地にはならず東池袋中央公園となりました。当時をしのばせるものは『永久平和を願って』という石碑のみです。

 私たちはその石碑を見てから、公園内の遊水場の滝を見に行きました。その時こわおもてのお兄さんやおじさんが9名ほどやってきて、私たちが先ほどまでいた石碑にたむろしていました。その後、その人たちが散り散りになって、公園全体に広がりました。私たちはそれをいぶがしがりながら、もう一度石碑のほうに戻りました。そうしましたら、おそらく皇居の方向なのでしょう、彼ら全員がひとつの方角を向き、君が代斉唱を始めました。私も同じようにその方向を向き、一緒に斉唱を始めました。私の連れも私が歌っているのを見て斉唱に加わりました。

 偶然にも、私以外の四人はみなネイビーブルーのフラノコートを着ていて、なんとなく海軍のコートのようにも見えました。それからしても、彼らの仲間に見えたかもしれません。しかも、飛び入りで右翼団体と斉唱するやつがいるなんて思いもしないでしょうから、他の人々の目には完全に私たちも彼らの仲間だと映ったことでしょう。

 君が代が終わり私たちはまた遊水場にもどると、先ほどの右翼の一人、若い人がやってきました。そして私に話しかけてきました。「兄さん、ちょっといいかい?うちのおやっさんが聞いて来いっていうもんだからさ。兄さんたち、なんでここに来たの?何の会?」私はちょっと言葉に困りましたが、「霊示を受けたから来たのです」と素直に答えました。その若い人は、その答えに妙に合点したようで「おっ、そうですか。霊の会の人でしたか」と繰り返して、彼のおやっさんに報告しに帰っていきました。その後すぐ、彼がまたやって来て「自分らはこれから靖国神社にいきますが、一緒に行きませんか」と誘ってくれました。私は、せっかくだけど自分たちはここに来る前に靖国神社でお参りをしてきた旨を伝えて遠慮しました。

 

さざれ石 彼らとはそれっきりでしたが、なかなか面白い出来事でした。この日は12月23日、今上(きんじょう)天皇の誕生日でした。あとで聞いたところによると、今上天皇が皇太子であった1948年、GHQ(アメリカ進駐軍)は見せしめのために12月23日を選んで戦犯71名の処刑を行ったそうです。

 私は天皇家についても天皇制についても別になんとも思っていないのですが、彼らにとったら同じような思想の持ち主に思え共感したのでしょう。しかし私自身が彼らと君が代斉唱したのは、過去に日本の国を守るために命を犠牲にした魂に礼を尽くそうと思ったがためでした。

 そして君が代につても、それを否定する人も見受けられますが、私は素晴らしい国歌だと思っています。

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
巌となりて
苔のむすまで

 深いデータに基づいて、この歌詞を私なり解釈するならば「きみが代」の「き」はイザナギ、「み」はイザナミを示しています。この二神は国生みの神であり、この二神の世が「千代に八千代に」非常に長い期間にわたって続くことです。そして、「さざれ石の巌となりて」とは、さざれ石(小さな小石)が数多く集まりひとつの巌(大きな石)を形成する。さざれ石は角礫岩といい、実際に小石の間の石灰質が固まって大きな岩となったものです。
この深い意味は、多くの小さな魂が集まりひとつの大きな魂となって神の世に帰っていくことなのです。

 

このページのトップへ 

トップへ 

真我への道 すり寄ってきた猫

                                         (2012/01/01)

 新宿の、とある神社にお参りに行ったときのことです。本社のお参りを済ませたあと、末社のほうにもお参りしようとそちらに向かったところ、境内にいた三毛猫がすり寄ってきました。

 おそらく野良猫なのでしょう、しばらく私のズボンにすがりついてゴロゴロ、ニャーニャーと甘えていました。「お前は何が言いたいんだろうね?」猫はおなかが空いて食べものをねだっていたのでしょうが、あいにく何も持っていませんから、まとわりつく三毛猫をなだめて末社に向かいました。

 そこまで行ってみたところ、この末社がかなり穢れを蓄積させているような感じを私は受けました。普段はそんな事はしないのですが、鈴の真下の基礎のコンクリートに手をあて穢れを自分に取り込み末社を浄化しました。それから「全ての衆生が真理を実践し、全ての衆生が慈悲を尊び、意識を上昇させますように」いつも通りすべての魂の救済祈願をして末社を後にしました。

 本社に戻ろうと歩き出したましたら、さっきの三毛猫がまだいました。さっきはこっちが困ってしまうほどじゃれついてきた猫が今度は私の顔を見るなり、フギャーと叫んで背中を丸めて威嚇しはじめました。なんだかものすごく怒っているようでした。「なんだ、この変わりようは?」とこっちも驚きました。私と距離を置いてからもなお、三毛猫は私が気に入らないようで睨み付けていました。

 その時、わたしは末社がため込んでしまった穢れを取り込んで穢れの塊のようになっていました。彼ら動物には、そのような気の変化がわかるのでしょうね。

 

このページのトップへ 

トップへ 

真我への道 石積み

                                         (2012/01/02)

 昔私は知り合いと二人で、ある山の上にある神社にお参りに行きました。その社まで続く坂の途中、砂利道の横にはたくさんの灯篭が並んでいました。その足元には小石を積んだものが数多くありました。ずらーっと並んだ山積みの小石を見て、私は「あぁ、誰かが願掛けしたんだろうな」と思いながら、その灯篭に願を掛けた人の思念が自分に入ってくるような感じがして何だかとても嫌な感覚がしました。そして私の知り合いも、おそらく同じような感じを受けたのでしょう、そこを通る時その小石の山を蹴散らしていました。そうしましたら、小石を払い退けられて灯篭たちが喜んでいるように感じられました。石積みを作った理由が願掛けではなく単なる遊びであったとしても、思念がそこに入るという意味では結果は同じことでやはり作った人の穢れが入ってしまいます。

何ヶ月か経ってのち、おとずれた別の神社で同じように小石が積み上げられたものがありました。あの時感じたような嫌な感覚はあるものの、また違ったように受け取れたのです。

 誰かがその小石を積み上げ、そこにはその人の貪りの意識が確かに込められていました。しかし、それが私が感じたように願掛けのために積んだものであれば、それがどれだけ煩悩的な願いであろうが、どれだけマイナスのエネルギーを発していようが、どれだけそれがしんどかろうが、よく見れば灯篭たちはそれを黙々と受け入れているようでありました。小石に込められた貪りの意識に取り込まれる事なく、石を積んだ人たちの穢れをしっかりと受け止めていると感じられました。それどころか灯篭たちは、その人たちと縁が生じたことを喜び、その縁を大事にしているということが伝わってきたのです。私はもう、積み上げられた小石たちを取り除いた方が良いという意識には到底なりませんでした。

 そして、「やはりこの世に生きている限りは菩薩として衆生のために働き、慈悲の念を強く抱きながら衆生のために精一杯生きることこそ素晴らしいのだと、こう思ったのです。

 

このページのトップへ 

トップへ 

祐徳稲荷神社   真我への道 三大稲荷
   
(2012/01/03)
     
 

 千本鳥居で有名な、京都の伏見稲荷大社を訪れたときのことです。伏見稲荷は本社・末社をあわせれば相当な数にのぼり、千本鳥居に代表されるように鳥居も数え切れないほどあります。特に本社の裏にある稲荷山にはかなり急な傾斜なところもありましたが縦横無尽に参道がはりめぐらされ、無数の小さな社で埋め尽くされています。まるで区画整理されていない墓地のようでした。そこはあまり人が参拝しませんし、お世話をしている人もほとんどいないように思われました。 

 私は本社はもちろんのこと、稲荷山にある無数の小さな社、そのほとんどにひとつひとつに手をあわせ、衆生済度のために祈りを捧げてきました。何時間もかけてひとつひとつの小さな社が祭っている神様全員と繋いで、救済の手助けをしてくださるようにお願いしました。数の多さもさることながら、人の手の入っていない社、きちんと敬われていない神様はなかなか繋がりづらく、わかっていたことですがとても大変でした。



また九州を旅した時ですが、それまで旅をともにしていた友人と長崎で別れ、ひとり電車で佐賀県にいきました。そして駅でバスに乗り換え、のどかな田舎町をバスでゆられながら鹿島市の祐徳稲荷神社にのんびりで向かいました。この祐徳稲荷神社は伏見稲荷と比べれば規模は小さいですが裏山に末社があり、そこに至る参道には鳥居がたくさんありました。伏見稲荷のことがありましたから「ここも大変なんだろうな」と覚悟して行ったのですが、末社の数自体もたくさんではなく、手入れもされているようで大した労もなくそこの神様と繋げることができました。

 

笠間稲荷  

 茨城の笠間神社は他の稲荷神社と違い裏山はなく、多くの神社と同じような感じでした。隅々まで手入れが行き届き、私が訪れた日はちょうど何かの祭事に当たったようで多くの参拝客がいました。ここでも同じように衆生済度の祈願をしましたが、なんなく神様に繋がりました。やはり、きちんと敬われている神様とそうではない神様は違うものだなと思ったものでした。

 

このページのトップへ 

トップへ 

 

真我への道 厄払いはするべきか?

友人(というより弟子? )のT君の質問と、それに対する私の答えを紹介しようと思います。

T君: 今年僕は厄年なのですが、厄払いはした方がいいのでしょうか。

玉置: 若い人でも厄年は気にされる方が多いようですね。では仏陀の教えとしての仏教、その見解からお話しましょう。
まず厄があるということは、当然そこに原因があるはずです。その原因とは、あなたが何らかの行為を過去に行ったが為に生じたのです。その原因は条件が整えば必ず現象化します。過去に人を騙せば、いつか自分も誰かに騙されてしまうということですね。これを因果応報、カルマの法則と呼びます。この原因に対して結果を「厄」ととらえている訳ですね。

T君: 厄は単なる災いではない、ということですよね。自分が過去に行ったことだから、自分に返ってくるのは仕方ないのでしょうか。

玉置: それは一概には言うことが出来ないんだけど、大抵の場合は為したことは自分に返ってきます。でも、それは悪いこととは限らない。良いことが返ってくる場合もあります。つまり、私たちに起こるすべての出来事には、良い悪いに関係なく自分の過去に原因があるのですよ。そして仏教では、どれだけひどい厄が来ようが回避せずに真っ向から受け止めなさいという教えが存在します。というよりは、仏教そのものの教えが厄、つまり苦しみから逃げてはならない、さらには苦しみにも捕らわれてはいけないし喜びにさえ捕らわれてはいけないよ、という教えなのです。

T君: 良いことがあっても喜んではいけないのですか?

玉置: ええ、良いことにも必ず終わりはやってくるから。良いことばかりに固執していると、それが終わる時に必ず苦しみが生じます。そうならないためには苦しみと喜びのどちらにも執着してはいけない、どちらに対しても心を動かさないようになるというのが仏教の基本的な教えです。大変なことだけどね。それにもかかわらず、現代はお寺でも厄除けをやっていますよね。「災難から逃れたい」という一般の人たちの気持ちをむげにはできないのでしょうが、「そうではなく、苦しみから逃げない心をだんだんに養っていきましょう」と諭すのが、お寺の本来の役目ではないでしょうか。自分から厄除けをうたってはいけないと思います。いくら厄除けをしてその時こそ災難から逃れても、過去の原因は存在しているのだから、また同じような災難はやって来てしまのですから。

T君: えっ、そうなんですか。

玉置: そうです。「自分は過去にこんなひどいことをしてしまったんだ。申し訳ありませんでした。どんな苦しみでも受けますので、許して下さい」という心にならない限り、いくらでも同じ災難はやってきます。厄はそれに気付くチャンスだからね、気付くまで続きますよ。それなのに、お祓いや厄除けをしていては逃げの心が大きくなって苦しみも雪だるま式に大きく感じるようになっていくだけです。このことは、お坊さんはもちろん一般の方にも理解していただきたいですね。これを聞いたみなさんには、厄除けを良しとする、そんな人々の列には加わらないでほしいものです。

このページのトップへ 

トップへ 

真我への道 羽田空港に取り残された大鳥居についての回想


 十数年前まで、羽田空港の一角にぽつんと残された大鳥居のことをご存知でしょうか。この鳥居は、現在では羽田空港の敷地のすぐ横800mほど離れた場所に移転されています。

 昨年九月に新ターミナルビルが開業した東京・羽田空港で、旧ターミナルの解体工事が進んでいる。重機械がごう音を上げるその前に、鳥居がひとつ、取り残されたように立っている。戦前からこの地にあった、穴森稲荷神社の「一の大鳥居」だ。
終戦直後、空港を接収した米軍は、大規模な拡張工事に着手。 神社を強制退去させ、鳥居も何度か取り壊そうとしたが、そのたびに作業事故が起きたり、工事関係者が病気になったり・・・。
「お稲荷様のたたりだ」と恐れられ、残されることになった、と伝えられる。
今回の解体工事でも手つかずにされた鳥居だが、空港の沖合展開計画に伴い、すぐ近くに新滑走路ができるため、近く「立ち退き」を余儀なくされそうだ。
(朝日新聞朝刊(1994年5月18日)

穴守稲荷大鳥居 鳥居の祟りと恐れられた事件で最大のものは、1982年の事件であろう。空港拡張計画が具体化し、鳥居の撤去も決定された。その直後の同年2月、日航機が同空港に着陸直前、機長が逆噴射をおこなって墜落。24人が死亡する大惨事が発生した。このため「鳥居を壊そうとするとたたられる」との噂が信憑性を増し、撤去計画は再び立ち消えになった。

 私がこの鳥居の事を知ったのは1999年1月、ある週刊誌の記事による。病院の待合室に置いてあった、その週刊誌を何気なく取り上げ眺めていたら、赤い大鳥居だけが夕暮れ時の薄暗い駐車場に浮き出た、異様な写真が目に入って来た。何よりも、その鳥居の写真の放つエネルギーに驚いた。怒り、悲しみ、苛立ち、そういったものが写真からも発散されているようであった。

 大抵の霊能者は、こんなエネルギーは邪気であると間違いなく言いきるだろう。しかし、この世界の現象はすべて自己の心の現れである。邪気と思われるようなエネルギーですら、自分の心の奥底に存在する穢れから生じたもの、私自身のものである。鳥居の放つ怒り、悲しみも、私の心の穢れだ。放っておいてはいけない。すぐにそう思った。読めば近く鳥居の移転工事が行われるとのこと。急がねば。

 実は、私は羽田空港の中の鳥居にはいったことがなかったものの、鳥居の本社である穴守稲荷神社にはその三ヶ月ほど前に参拝していたのである。

 当時、私は幾人かの友人と全国の神社巡りをしていた。観光ではなく、全国の主だった神社にある祈願をしていたのだ。その中で、羽田の穴守稲荷神社にも参拝していたのだ。その時、穴守稲荷神社の末社である稲荷神社の下にお清め用の砂がスコップと袋とともに置かれていた。ご自由にとあったので一袋持ち帰り、自宅の祭壇にその他多くのお守りなどと一緒に上げておいた。

 その砂と御神水を持ち、私は友人と連れ立って羽田に向かった。その友人も神社巡りを共にしていており、エネルギーに関しては非常に敏感な性質であった。私たちが羽田に赴いた日は、すでに工事を二週間後に控えていた。

 羽田空港の駐車場にぽつんとそびえる大きな赤鳥居、その周囲を工事のためか仮囲いが巡らさていた。それが一層、この鳥居がそこにある異様さを際立たせていた。

 実際に目にする大鳥居は、写真以上に強烈な負のエネルギーをあたりに発散していた。怒りのバイブレーションによって、あらゆるものを寄せ付けないようであった。このバイブレーションは、おそらく霊的なものを普段感じない人であろうと、なんとなく嫌な感じを受けただろう。近づく者に祟りが起こるのも当然であろうという気すらした。

 少し近づくだけで二人の全身の毛が逆立った。私は激流に逆らうようにエネルギーに逆らい、なんとか鳥居に近づいた。鳥居の足元はアスファルトで固められていた。もともとは、神社の境内の地面に直接建てられていたであろうに、アスファルトで固められた姿は窮屈そうで、哀れを誘った。

 穴守稲荷大鳥居「土に戻してやろう」私は急に思い立った。

 まず、鳥居の足元に御神水を振りかけ、その後鳥居の足元の周囲にお清めの砂をまいた。何か考えがあってそうした訳ではなかったが、何故か一連の行動が自然に出てきた。それは、元々決められていた儀式のようですらあった。

 穴守稲荷神社のお清めの砂をまいた途端に、鳥居の放つバイブレーションが一変した。怒りの波動から穏やかな波動、言ってしまえば何の変哲もない当り前の波動に変化したのだ。私たちの身体もすぅっと軽くなった。独り取り残された鳥居が、神社の砂をまくことで再び神社とのつながりを取り戻したのだ。これでもう大丈夫だろう。もう怪我人が出ることもあるまい。

 二週間後、鳥居は無事に移転された。別の霊能者の言によると、穴守稲荷神社の大鳥居は東京湾の沖合で地震が起こるのを防いでいたのだという。その役目を全うするべく、鳥居は神社と切り離されてもそこに残り続けたのではないか。

 この赤鳥居のお話でご理解いただきたいのは、この世に本質的に邪気など無いということです。しかし、お祓いといわれるものの多くは悪い現象の原因を邪気と見なし、それを追い払うことのようです。それによって一時的に現象は良くなったとしても根本的な解決にはなりません。悪いことであろうと良いことであろうと、すべての現象は自己の心の現われに過ぎないのです。祟りさえも、自己の心に隠された恨みの心が現われ出たものです。それを忘れずに慈悲の心を持てば、お祓いなどでは得難い本質的な問題の解決につながるはずです。

このページのトップへ 

トップへ 

真我への道 ドーベルマン

(2012/01/29)

ドーベルマン 私は、小さな頃から友達や兄弟とけんかしても殴ったり蹴ったりということが出来ませんでした。取っ組み合いはしても、なぜか相手に大きなダメージを与えるようなことはできませんでした。

 それは夢の中でさえも同じでした。夢の中で、けんかしている相手を殴ろうと思っても腕が重たくて動かないのです。蹴ろうと思っても足が重くて動かせないのです。夢の中ですら相手をやっつけることが出来ないなんて、自分はなんと臆病なんだろうと幼心に悲しく思ったものです。

 今になって思えば、おそらく私は前世から徹底的に暴力から離れており、それを今生も引き継いだのでしょう。そのため私には「殴る蹴る」という暴力のカルマがなく、深い意識においても、そういったカルマを積んではならないという意識が根づいているのではないかと思います。譜面台

 唯一、そんな私が他に暴力を振るうにいたった夢があります。

 若い頃修行を始めて間もなくの頃、書見台(譜面台)に詞章を置き、その前に座って音読の修行を終えたあとのことです。そのまま弛緩瞑想をしていたのですが、いつの間にか眠りに陥ってしまっていたようで、目の前にドーベルマン種の黒い犬が私に向かってガルルッガルルッと吠えまくっていました。とっさに私は両手を使って犬の口をふさぎました。これで噛まれることはないと安心したのもつかの間、この手を離せば噛まれるんじゃないかと気付き、とっさに犬の腹を蹴り上げていました。そのとたん足に激痛が走り、なんと私は書見台を蹴り上げていたのでした。

このページのトップへ 

トップへ

 

 

首塚大明神守護札真我への道 鬼も、自己の心の現われ

(2012/02/05)

 京都方面の神社参りをしていたときのある夜、こんなことがありました。私は京都の上賀茂神社へお参りをしていた際ふと空を見上げると、雲に大きな鬼の顔が二つ浮かんで見えました。彼らは私を見て、なんだか笑っているようでした。次の日は鬼退治伝説で有名な大江山に行く予定だったので、そのようなヴィジョンが見えたのかもしれません。

 次の日の朝、大江山へと続く老ノ坂の手前にある首塚大明神をまずお参りました。ここは、退治された酒呑童子の首を埋めた首塚を祀っています。そして、そのまま鬼の名所ともいうべき大江山にいくと、鬼の銅像があちらこちらにたくさんありました。それらの鬼の像の近くには、おそらく運送トラックの荷台からこぼれ落ちたのでしょう、道端にイエローページが何冊も落ちていました。これを偶然ととらえることも出来ますがあえて必然であるととらえ、私はそのイエローページを拾い上げ鬼の像と一緒に写真を撮りました。このイエローページに紹介されているお店・会社、そこで働く人々、そこのお客さんすべてを、この鬼たちと結び付けました。

 そして鬼たちに対しては、この鬼たちを一目見る人たちが、あるいはその近くを通りすがる人々が、たとえ本人たちがその時どんな気持ちを生じさせていたとしても、それとは関係なく「彼らが真理というものと絆を持てますように。彼らに真理への気付きが訪れますように。彼らが真理に気付くだけの功徳が積めますように」そういった気持ちを鬼の像ひとつひとつに念じました。この思念は鬼たちを通じてイエローページに記載されている企業・お店につながる人々すべてに波及する、そのようにイメージし祈りました。そして、そういった気持ち、慈悲の実践をする機会を与えてくれた鬼たちにも心より感謝しました。

 一昨日は節分でしたが、「鬼は外、福は内」とはすなわち「鬼を外へ追い出し、福は内にやって来い」と言っているわけですね。しかし、この世界すべてが自己の心の世界であり、鬼ですら自己の心の現われなのです。ですから、「鬼は外、福は内」というような意識は本来真理の修行を志す者にとってふさわしいものではありません。また、鬼を納得させる、説き伏せるというようなことも必要ありません。

 どれだけ福が来ようが鬼が災いをもたらそうが、本質的にはすべての現象に捕らわれてはいけないということです。一般の人たちは災いをこうむっても「それは自己のせいである」と考えることはありません。しかし、実際は災いも幸いも自己のカルマの果報に過ぎません。ですから、どんな災いが起ころうとも、そのために鬼を追い出そうなどと思ってはいけないのです。

大江山の鬼  

 

 

 

 

 

 

 

     
大江山の鬼   大江山の鬼
 

 

 

 

 

 

小さくイエローページが写っていますね。

 このページのトップへ

トップへ